先日の「怨霊か祟りか?」の記事で、いただいたコメントが興味深かったので、ここでもう少し噛み砕いてお話してみたいと思います。
このブログは結構な閲覧数がありますので、ご覧のみなさんもそれぞれの想いで考えてみてください。 ただし、僕の意見は僕なりの僕のための「らくがき」みたいなもの。(笑) 深くは気にしないでくださりませ。 僕は霊や祟りなど、起こった結果を他のせいにするのは、キライです。 それは先日の記事でも紹介(過激?)しましたよね。 例えば「お清め」 昔、お葬式から帰ったら、玄関で塩で体を清めましたよね。 今はそんなもんするところは、ほとんどありません。 亡くなられた方に・・・その方のお気持ちに失礼な気がしませんか? 僕はする。 あの習慣を最初に無くした方々はホントにすごい。 っていうように、人は弱い生き物だから、災いから逃れる習慣をやめる事には、消極的なのが現実です。 例えば、あの木には「霊がいる」または「祟られる」から触るな!と誰かが言ったとします。 貴方なら、わざわざ触りますか? 僕なら触らない。(爆笑) 触らなくて済むものなら触らない。 同じ様に、あの人には霊が付いているから、関わるな!って言われたらどうでしょう。 「気にしない!」って言う貴方も、どこか良い気がしないって言うのが本音でしょう。 話が大胆!と思われるでしょうが、せっかく国立大学に受かった娘が、今 怨霊の講義をうけています。 ??と思うでしょ。 その歴史的背景や心理的な部分から掘り下げていくのでしょう。 人の文化形成の歴史を考えていく上で、意味があるのかもしれません。 話を戻しますが、こういう誰かの扇動が、科学的な発達の乏しかった昔は、「生け贄」など、とんでもない状況にまで発展してしまうのです。 普通の感覚ならあり得ない話でも、こういった集団的洗脳が、あり得ない事を簡単に起こしてしまう。 最近、指名手配幹部が逮捕されたオ○○真○教が昔起こした事件などは、その典型的なケースだと思うんです。 「教祖である方がある真理を説く」 それが正しい真実ならいいのですが・・誰が考えても、そうじゃないものを人が信じ込んだ。 閉鎖環境での集団心理ってものです。 話を現実的にして・・・ 「この建物には霊がいる」って誰かが言ったとしましょう。 (こういう人はどこに行っても言う 霊がいないのは自分の家とお金にだけ??) (除霊とかなんとかして、一瞬だけスッキリした気持ちになる) つまらん話を・・って思っても、誰も良い気分になる人はいない。 「霊がいる」って、その話が本当に本当に絶対に「真実」であれば、言ってかまわないと思う。 「この娘には霊がついているから近寄るな」といったらどうでしょう。 絶対に真実でなきゃ、僕なら発言者を許しません。 発言者にとって自身の霊感なら、プライベートの自分の心の中で楽しむべきで、安易に事実証明できない事を流布する事は、最大の罪だと僕は思うんです。 それ以上に、亡くなられた方や対象にさせられた人への最大の冒涜だと思うんです。 話が堅い???(爆笑) だから、僕はそんな人達の上で仕事はしない。 事実かどうか確証できないものを、噂して楽しむ。 ましてや人と関わるべき福祉の仕事で・・・ましてやお金もらって・・・ それにしては、給料には「霊」は付いていないのだろうか・・・? 前の施設でも、それだけは聞いた事なかったなぁ~。付いてたらいいのに・・・。(笑) 言われも理由もない「噂」で、大勢の善人が迷惑し、大勢の人が混乱に巻き込まれる。 軽い気持ちでこんなこと言う人は、満足できる職場で働けばいいんだ。 塩盛って職場に留まる必要がどこにあるのか? そもそも、入社するまでに気が付けよ! ホントに霊感あるのかよ? って話です。 そんな気持ちを悶々と持っていた時期が前にありました。 結局、責任者である僕の強権発動となりましたが・・・。(苦笑) 長々と話をしましたが、結局言いたい事は・・・・ 信仰も崇拝も霊感も「感謝」など良い部分は、発信しても良いと思うが、悪い部分の発信はよくよく慎重になるべきで、それが企業の社長や責任者など、影響力が強いものほどタブーであると思う。 発言に責任があるからね。 些細な予感を口にする事で、時に計り知れない影響が善意の第三者に及ぶって事を知るべきだと思います。 あの人の「おかげ」でこうなれた!っていうプラスの思考と、あの人の「せいで」こうなってしまったって言うマイナスの思考をよく考えてみてください。 ○○にお願いしたら、無事願いが叶った。(高校受験に合格したとか・・) ○○に祈ったら、今年一年健康に過ごせた。 ○○にお願いしたら、無事ピンチを切り抜けられた。 不運な出来事が起こったのは、○○のせいだ。 良い事がないので、○○の除霊をしてもらった。 ○○を動かしたら、体が嘘の様に楽になった。 ○○といると良い事が起こらない。 ○○を信じないと、幸せになれない。 ちょっとわかり辛いかもしれませんが、どうでしょう。 「感謝の論理」と「排除の論理」まさにプラスとマイナスです。 特に悪徳商法に使われているのが、このマイナスの論理です。 排除の論理は「村八分方式」・・誰かを排除(のけ者)にする事で、集団が一瞬まとまった様な気持ちになるのです。 そして、しばらくするとまた、次のだれかがのけ者になる。 残った者は自分は選ばれなかったと安堵して、より団結しようとする。 最後は必ず排除されるのに・・・。 同じ団結するなら、感謝し助け合い、補い合い認め合う。 こんなプラスの団結に勝てるものはない。 結局のところ僕が言いたいのは、ここに辿り着くのだ。(笑) そう、「グリフィンドール」と「スリザリン」の違いは、決定的で永久なのだ。 (この終わり方・・・なかなか素敵でしょ? ちょっと自画自賛)
by yasu121928
| 2012-01-14 10:52
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Comments(2)
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by
あみ
at 2012-01-15 19:25
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いろいろな考え方がありますね~私の場合は時々のし掛かられる時があります。除霊も行きました(笑)でも助けて欲しくて来るんだと思うのでちゃんとあっちに行けるようにとの思いで行きました。地縛霊と言われるのは何かわかりませんけど、その建物にいるのならきっと居心地がよいのかと。私主さんに喧嘩うってます?(笑)
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yasu121928
at 2012-01-15 21:39
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なるほど! 居心地がいいっていうのはいいですね。
個人的には大歓迎です! ただし、職員たちには言ったらあきませんけど・・・。 人の気持ちはいろいろあるからこそいいんです。 気持ちだけは、100%皆自由! だからこそ、人間は楽しい!! かりがと!
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